学習院初等学科における乃木院長訓示要綱

2020/08/27 - 乃万 暢敏 - ブログ記事

学習院初等科にて、当時学習院院長だった乃木希典大将が、初等科学生に対して行った訓示をまとめたものである。

明治時代のことであるから、現代の感覚では理解が及ばないことも多々あるが、逆に現代の人心が忘れかけていることもある。

これを読み返すにつけて、今上陛下の立ち振る舞い、そのままだと思う。決して贅沢はしない。着衣を次々と購入するのではなく、リフォームをなさったり、組合せを工夫されたり。それでいて、国民から素晴らしいファッションと言われる。

我が国の陛下は、日ごろから慎ましくされている。姿、形ではなく、本物の考え方を身につけられているからこそ、世界の王族の中で、確固たる「権威」をお持ちなのだろう。このような国は世界の王族の中でも、珍しいと思う。否、追随を許さない特別な存在である。

こうした事を「帝王学」と呼ぶのではないだろうか?

一、口を結べ。口を開いて居るような人間は心にしまりがない

二、眼のつけ方に注意せよ。始終キョロキョロして居るのは、心の定まらない証拠である

三、敬礼の時は先方をよく注視せよ

四、自分の家の紋所、家柄、先祖の事はよく聞いて忘れないようにして置け。先祖の祭は大切であるぞ

五、男子は男らしくしなくてはいかん。弁当の風呂敷でも、赤いのや美しい模様のあるのを喜ぶようでは駄目だ

六、決して贅沢をするな。贅沢ほど人を馬鹿にするものはない

七、人力車には成るべく乗るな。家で車をよこしても乗らないで帰る位にせよ

八、寒中水で顔を洗うものは幾人あるか。湯で洗うようではいかん

九、寒い時は暑いと思い、暑い時は寒いと思え

十、破れた着物を其儘着て居るのは恥だが、そこをつぎをして縫って着るのは決して恥ではない。いや恥どころではない

十一、恥を知れ。道にはずれたことをして恥を知らないものは禽獣に劣る

十二、健康の時は無理の出来る様に体を鍛錬せよ。けれども一旦病気になったら医者のいうことをよく聞け

十三、洋服や靴は大きく作れ。格好などかまうな

十四、学習院の学生は成るだけ陸海軍人になれとは、  陛下の御沙汰であるから、体の丈夫なものはなるべく軍人にならなければならぬ。けれども生まれつき体の弱いものもあり、又いろいろの事情で軍人になれないものもあろう。之も仕方がないが、何になるにも御国の為に役に立つ人にならなければならない。国のために役に立たない者、或は国の害になるような人間は死んでしまった方がよいのである。

(原文は旧仮名使い。私が現代仮名遣いに改めた)

乃木院長と聞くと、もちろん203高地の激戦が思い出される。当時第3軍の指揮官であった乃木は、多くの軍人を消耗させ、二人の子供も戦死させている。結局、参謀総長、児玉源太郎の加勢により、何とか旅順攻囲戦を終結された、というのが史実であろう。乃木は明治陛下にご報告申し上げたが、明治陛下は「乃木は死ぬ気だな」とお感じになり、昭和陛下のご養育に当たらせるためと称し、学習院院長を命じたのである。

学習院は沼津御用邸の横に、学習院遊泳場(専用プライベートビーチ)を持っている。今上陛下も私も、赤い締め込みの褌を身に着け、約1週間の遊泳合宿に参加した。初等科5年生の時だと思うが、夕食に出されたおかずにサルモネラ菌が付着しており、教官も含め、ほぼ全員に近い集団食中毒が発生した。この顛末は、別のブログで詳しく書きたいと思う。

さて、その沼津遊泳場だが、中央部に教官室(職員室)があり、そこから放射状に生徒の宿泊する建物が伸びている。これは、乃木院長の発案であり、当時の陸軍兵舎の造り、そのままであった。要は、兵(生徒)が何か問題を起こしても、教官室から丸見えで、直ぐに対処できるのである。すべて木造で建設当初のまま現在も使用されている。沼津での遊泳合宿は厳しく行われ、伝統的な古泳法も伝授されていた。