天子以て南面す

2020/09/02 - 乃万 暢敏 - ブログ記事

京都市を俯瞰して見ると、地図上の右側(東)に「左京区」、左側(西)には「右京区」が存在する。関西出身者であれば、地理的関係は頭の中に入っているだろう。しかし、東の人間にとっては、一瞬「???」となるのではないだろうか。なぜ「左京区」が東側(右側)にあり、「右京区」が西側(左側)にあるのか?たまに「京都は左右が逆なんですか?」と疑問を持つ方もいらっしゃる。

日本は政治機構を唐から輸入した。したがって、平安京も唐の条里制に基づいて設計された。至極、整然とした都であったことだろう。唐から輸入したのは、都ばかりではない。法律や政治機構も輸入した。これらをもって「律令制」とよぶ。

「天子以て南面す」すなわち天皇を中心に考えると、地政学的に左右が逆転することになる。つまり天皇から見ると左に「左の司」右に「右の司」となる。したがって地図上とは結局逆の位置になっており、これは平安京の名残である。平安京は広大な区画で構成されているが、天皇を中心にした重要な建造物「紫宸殿」は南向きに建てられている。この紫宸殿に、高御座(天皇の御座)があり、その前庭には、左右に分かれて高官たちが居並ぶ。律令では、右よりも左が高官となる。右大将より左大将の方が格上というわけだ。この南面の造り方は、多くの神社でも確認することができる。

昨年、令和元年10月22日に「即位礼正殿の儀」が厳かな中、執り行われた。私は本来ならば、京都御所の紫宸殿で挙行されるべきと考えるが、今回は、皇居正殿松の間で行われた。しかし伝統的儀式の神髄は受継がれ、高御座と御帳台が設置され、その前庭には、束帯に身を包んだ「威儀(いぎ)の者」(宮内庁職員)が左右に分かれて着座するはずであった。ただ、午前中の天候が雨であったことから、人数を大幅に減らした。「晴儀(せいぎ)」か「雨儀(うぎ)」になるか、直前になっても決まらない事態となった。皆さんも驚かれたことだと思うが、正殿の儀、開式になったとたん、なんと美しい虹がかかった。私はその当日、お台場のフジテレビ、生中継のスタジオにいたが、周囲に窓もなく、モニターでしか拝見することは出来なかった。ちょうどお台場からレインボーブリッジが写され、素晴らしい虹がかかっていた。が、実のところを白状すると、「テレビ局が合成で虹をかけたのだ」と思っており、後で聞いて、改めて神々しさと神秘性を感じたのであった。

京都という場所は身近なところである。私の母は京都生まれで、戦前に東京に越してきた。祖母も生粋の京都人だった。そういう環境で育ったので、家の中では京都弁が日常で、あれだけ東京に住んでいたにも関わらず、一切標準語に直そうとはしなかった。小学生の間によく京都に遊びに連れていかれたものである。最初に教わったのは、わらべ歌。京都の通り(条里制)の名前を覚える歌だった。「まる たけ えびす に おし おいけ あね さん ろっかく たこ にしき し あや ぶっ たか まつ まん ごじょう・・・」これは、丸太町通り、竹屋町通り、夷川通り、二条通り、押小路通り、御池通り、姉小路通り、三条通り、六角通り、蛸薬師通り、錦小路通り、四条通り、綾小路通り、仏光寺通り、高辻通り、松原通り、万寿寺通り、五条通り・・・京都の条里制を子供に覚えさせ、迷子にならないようにするためである。京都出身の方でこの歌を聞いたことがないという人はいないのではないか。

陛下と私がまだ大学生だったころ、学習院大学史学会の研究部会に「古記録研究会」というものがあった。陛下も私もそこに席を置き、中世期の公家の残した日記を読み解いていた。その研究の一環として、陛下とご一緒に京都を訪れたことがある。そして当然、この歌を陛下にお教えした。陛下との思い出は尽きない。この旅行も珍道中ではあったが、実り多い旅でもあった。詳細は、いずれ記したいと思う。