上皇后陛下、美智子さまとの一夏の思い出

2020/09/03 - 乃万 暢敏 - ブログ記事

上皇后陛下(以下、美智子さま)との出会いは、学習院初等科時代まで溯る。当時陛下(浩宮様)は野球が大層お好みで、そのお相手で日曜日などに、よく東宮御所(現赤坂御所)に伺ったものである。

当時はデパートに出向くと、子供用のユニフォームを求めることができた。子供用のユニフォームとはいえ、本物の球団そっくりの物が販売されていた。当時は、野球と言えば「巨人・阪神戦」のカードが最も人気だったので、その2球団のユニフォームが充実していたように記憶している。陛下は、読売巨人軍ジャイアンツのユニフォームで、背番号38番の末次選手のファンでいらしたので、その背番号をお付けになっていた。私は背番号8番の高田選手だった。野球と言えば1人で出来るものではないので、9人の生徒が集まって、御所のお庭で遊んだものだった。

子ども達が遊んでいると、ジュースや果物をご用意いただき、おやつを頂戴した。これらのもてなしは、すべて美智子さまのご配慮だった。

現在の上皇陛下のご成婚の際は、民間から初めての結婚と揶揄されていたのだと、大人から聞いていた。しかし大人になっても、美智子さまは大層お優しく、そして気張りのできるお方なのだと、あらためてそう思った。

子供時代を経て、確か大学生のころだっただろうか。東宮ご一家の夏のご静養は常に中軽井沢のプリンスホテル別邸を定宿にされていた。至極、温かい雰囲気があり、また最小限の警備であったため、皇太子殿下(現上皇陛下)ご一家はお休みを満喫されていた。そんな夏のある日のこと、いつものように私は陛下を別邸に訪ね、応接室で陛下と談笑していた。私がトイレに立とうとした時、たくさんのたたまれた洗濯ものを両手に抱え、顔も見えない女性とぶつかってしまった。

私は件の女性をてっきり出仕か女孺かと思ったのだが、その瞬間、件の女性は「あーら、ごめん遊ばせ」とおっしゃるではないか。私は「え!妃殿下(美智子さま)」と咄嗟に思った。数分後、美智子さまがお越しになり、「乃万君、先ほどは失礼」とおっしゃる。私は恐縮しながら、心の中では「妃殿下もそのような家事をなさるんだ」と感じたことを、非常によく覚えている。

世間では、様々なバッシングもあった中で、初めて皇室にお入りになった美智子さま。宮中やその周りの人間も、いろいろと批判がましいことを言っていたが、このように、民間人の気持ちも理解し、大変優雅で、また気さくなものを醸し出している方は、そうそういらっしゃるものではないと思う。

私の存じ上げている美智子さまは、エレガントで、TPOを心得ていらっしゃる、優れた女性である。テレビの放送ではあったが、上皇陛下と美智子さまの組み合わせで、優雅なステップを踏んでいらっしゃるお二人を拝見した。テニスでもそうだ。お二人で常に息を合わせ、真剣にボールを追うお姿は、清々しく皆のあこがれのご夫妻だと思う。

また要所要所で、上皇陛下のお助けをなさって来られたのだと思う。現、両陛下もそのようなお二人のなさり様をご覧になって、また別の角度から「新しい皇室」を作り上げられる事だろう。

この度の御代替わり後は、愛する上皇陛下とゆっくりした生活を送られることを望んでやまない。美智子さま、長い間、本当にお疲れ様でした。いつまでもお元気でお過ごしいただく事を、ただただお祈り申し上げるのみである。