コロナ禍の定期考査

2020/09/04 - 乃万 暢敏 - ブログ記事

令和2年の初頭から、徐々に感染を強めていった新型コロナウイルス感染であるが、現在も決して油断できない状況で、各地で感染者数が続いている。果たしてコロナウィルス感染は終息を迎えることが出来るのだろうか?この疑問、というかむしろ国民の願いであるが、こればかりは、天に任せる他はないのかもしれない。

今回注目したいのは、公立中学校の対応である。自治体によっても様々であろうが、「例年通りのペースで推移している」と断言できる学校や教育委員会は皆無であろう。こういう一般論は巷でも見聞きするが、その実態は、現場レベルでの深刻な事態を浮き彫りにしている。

都内某区の中学校の(シラバスに則った)進度管理は、各学校の夏休みを極端に短縮することで、何とか帳尻を合わせているのが現状である。しかしこの帳尻合わせも、決して生徒のためにはなっていない。

これは以前から指摘されていることだが、いったい教師の顔はどこを向いているのだろうか?それは決して教育委員会や上司である校長に向いているわけはないと信じたい。この点を指摘すると、向いてる先は「それは生徒」に決まっていると大部分の先生がお答えになるだろう。しかし本当にそうなのか?多くの先生の中には、ご自分の事を顧みず、生徒のために一生懸命に頑張っておられる先生が大勢いらっしゃることはよく承知している。しかし、それでも「?」となっているのが。今年の夏である。

今日は9月4日であるが、もう間もなく各学校で定期考査が始まる。本来ならば、ある程度余裕をもって、各教科から夏休みの宿題が出され、それを勉強していけば、休み明けの定期考査の対策にも繋がるようにできている。

今年は、決してそのような夏ではなかった。国の緊急事態宣言により、多くの学校が休校となり、授業が全く行われない時期が続いた。教師は、年間の指導計画(シラバス)を毎年立てている。その基となるものは、学習指導要領であり、具体的には教科書である。そしてそれに基づいた授業が行われる。

今年はその授業が出来なかった。どの様に工夫しようとも、失った時間は取り戻せない。では、どうしたのか?教師もこのスピードでは理解できない生徒が多くなるな。と思いつつも絶対的時間数が足りないのだから、致し方ない。相当にスピードアップした授業が行われた。私が心配するのは、所謂「できない子対策」である。平穏時であれば補習もでき、塾での対応も可能であっただろう。

もう1点心配されることが有る。それは学校現場の先生が、「またいつ休校になるかもしれない」という恐怖観念を持っていることだ。先生の頭の中で、今後の動きは誰にも予測不可能なので、いつまた学校が休校になり、授業が行えないという恐怖がどこかにある。その観念が授業が出来るときに、もし休校になっても対処できるように、とにかく授業を急いでいることである。「そんなことは考えていない」「学力別クラス編成で対応する」と口ではそうおっしゃるが、自分の胸に手を当ててみれば、「そうかもしれない」と感じられる先生が相当数いらっしゃるのではないだろうか?

学校の先生は、他の学校や教科の事はあまりご存じない。至極当然だろう。だがその状態が結局「井の中の蛙」になり、こうした有事下では、日ごろの教科連携や他校との勉強会も全く機能しなく、結局、生徒へのしわ寄せ、ということになってしまっている。

しかし学習塾は違う。そこに在籍する生徒は、学校も違い、クラスも違い、学力も異なっている。だから塾の教師は、様々な学校の授業進度を見ているわけで、正直、この先生は計画的であるとか、この先生はプリントだけ配って授業を進めたことにしているな、とわかってしまうのだ。

コロナ禍の教育の遅れは、生徒のせいでは全くない。先生も頑張っている。しかし、そこに必要なものは、ITやオンライン授業などのハード面ではない。国や各自治体は、奥歯を食いしばって現場に立っている教師を励ますことが、第一優先するべきことだ。どの様な対策や施策を用意すれば良いのか?もうすぐの定期考査の結果が物語ってくれるだろう。