赤坂御用地怪談話ー歯形の銀杏

2020/09/30 - 乃万 暢敏 - ブログ記事

赤坂御用地は、東京都港区元赤坂二丁目をほぼすべて占める皇室専用の敷地である。江戸時代、紀州徳川家の上屋敷(紀州藩赤坂藩邸)が在った所で、明治維新後、政府に接収され帝室(現在の皇室)に献上されたものである。

この御用地には、各宮邸や施設が建てられている。一般には迎賓館が有名であろう。以下にどのような建物があるか、俯瞰してみよう。

赤坂御所
現在は、天皇ご一家の御所(お住まい)になっている。平成31年4月30日まで(皇太子殿下時代)は、今上陛下のお住まいで、東宮御所と呼ばれていた。上皇ご夫妻が、皇居内の吹上御所から高輪皇族邸にお引越しをされ、同御所は現在改装中であるが、改装が終了すれば、天皇ご一家は、皇居吹上御所に移られることになっている。またこの赤坂御所も改装され、上皇ご夫妻がお引越しをされることになっている。その際には仙洞御所と呼ばれることになる。上皇陛下がまだ皇太子殿下でいらした頃もここにお住まいで、同じ東宮御所と呼ばれていた。ここは筆者の思い出の場所でもある。今上陛下が浩宮さまのころから、よく遊びに伺ったものだ。皇太子殿下になられても、様々な思い出があり、筆者も自分の庭のように慣れ親しんだ場所である。これらの思い出は、今後のブログでご紹介したいと思う。

皇嗣御所(秋篠宮廷)
今上陛下の弟君である、礼宮文人親王殿下が、川嶋紀子さまとご結婚された際に秋篠宮を創設された宮邸である。秋篠宮家は有栖川宮家の流儀も継承された。現在は、秋篠宮文人親王殿下が、皇太子殿下がご即位遊ばされたことにより、皇位継承権第一位になられ、皇嗣殿下となられたため、宮邸を拡充し、皇嗣職がその責務を負っている。今上陛下が皇太子殿下でいらした頃は、私も伺って、お酒のお相手を務めさせていただいた事もあった。

三笠宮邸
三笠宮邸は,東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にあり,昭和45年11月からご使用になっている。(宮内庁ホームページから引用)

三笠宮東邸(旧寬仁親王邸)
三笠宮東邸は,東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にあり,昭和57年12月からご使用になっている。(宮内庁ホームページから引用)

高円宮邸
高円宮邸は,東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にあり,昭和61年12月からご使用になっている。(宮内庁ホームページから引用)まだ筆者の息子が小さい時、お正月に高円宮邸にお邪魔したことがある。妃殿下のお取り計らいで、子供たち(承子さま、典子さま、絢子さま、そして息子)はお二階で遊ぶことになった。息子の不安げな顔が思い出される。

その他の施設
皇宮警察本部赤坂護衛署や、護衛課がある。また園遊会は赤坂御苑にて行われる。今上陛下とともに過ごした青春時代には、テニスコート(クレー)が2面あり、簡素なクラブハウスもあった。大学生やご成婚の前までは、毎週のようにテニスに汗を流したものだ。現在は使用されていないが、25mのプールも利用した。

さて本題に戻るが、陛下が皇太子殿下だったころ、御用地内を何回かご案内いただいたことがある。冒頭でも述べたように、ここ赤坂御用地は、元紀州藩赤坂藩邸であった。明治期に和歌山から皇室に献上された土地である。

少々鬱蒼とした場所に、古井戸(枯渇状態)とその脇に1本の銀杏の木がある。陛下のご説明によれば、紀州藩の女中がある恨みをもってその身を投げた井戸である、との事。そして件の女中は大きな恨みを持ちながら、そばの銀杏の葉を噛み締めながら身を投げたとの言い伝えが残っている。陛下はその銀杏の葉をちぎり、筆者に見せられた。その銀杏の葉には、まさに前歯の歯形のような凹みがあるではないか。それもその銀杏の木、全ての葉が同様の凹みを持っている。

そう言えば、ここ赤坂御用地は四谷からさほど離れていない。鮫が橋門から四谷方面へ向かえば、直ぐ左手に学習院初等科がある。右手は迎賓館である。四谷と言えば、有名な四谷怪談で知られており、そのほかにも数々の怪談話が存する地である。

最近はその様なことはないが、若い頃は何回も夢を見た。「懐中電灯を持って、夜に一人で行けば、肝試しが出来ますね」と申し上げると、陛下も「今度やりましょうか。」とご返答遊ばされた。筆者は冗談で申し上げたが、実行に移された時の事を考えると、背筋が寒くなる。