奉祝 敬宮愛子内親王殿下のご成人

2021/12/01 - 乃万 暢敏 - ブログ記事

本日、天皇家のご長女でいらっしゃる、敬宮愛子内親王殿下が二十歳の成人を迎えられた。誠に大慶の至りである。今上陛下、皇后陛下には、お祝いを申し上げさせていただいた。

今、私の手元に1枚の記念写真がある。愛子さまが学習院幼稚園時代に、私たち夫婦が東宮御所をお訪ねした時のワンショットだ。写真には、左から愛子さま、雅子さま、陛下、私と家内が並んでいる。この時、愛子さまは学習院幼稚園の制服をお召しで、雅子さまと手をつないでおられる。愛子さまは手をつながれた、雅子さまをご覧になっていて、何とも愛くるしいご表情で写っていらっしゃる。

お正月に参殿すると記念写真を頂戴している。愛子さまが、学習院幼稚園、初等科、女子中等科、女子高等科の制服姿で記念写真に写られているが、それらの写真を時系列で並べると、そのご成長ぶりがよくわかる。

ちょうど愛知万博のころ、陛下が愛子さまに絵本を読んでいらっしゃるご様子が、テレビを通じて宮内庁から公開された。陛下が「おーい。モリゾー、キッコロ」と、愛知万博のキャラクターの名前を呼んで、愛子さまに読みきかされているところだった。

当時、私は在京リトアニア共和国大使館で大使の顧問を務めていたので、何度も東京と名古屋を行ったり来たりしていた。万博にパビリオンを出展している国ごとに、万博内でのナショナルデーを決め、本国から賓客が来日していた。そのデリゲーションを受け入れるため、大使と奔走していたわけである。そのような訳で、常に愛知万博のキャラクターのバッヂを胸に着けていた。

テレビを拝見したところ、どうも絵本に描かれたキャラクターは、万博キャラクターである「モリゾーとキッコロ」ではなかった。このことを陛下に申し上げると「そうだったね。間違えちゃったね。」と満面の笑みを浮かべてお答えになっていた。いやはや、陛下は愛子さまのことになると、いつもニコニコ。まったく…であった!

令和2年4月、愛子さまは学習院大学文学部日本語日本文学科にご入学遊ばされた。その時たまたま目にしたのは、愛子さまが学習院初等科ご卒業の際のレポートだった。藤原道長があらわした「御堂関白記」についての考察である。

陛下も私も共に学習院大学文学部史学科に同期生として入学し、同じ日本中世史ゼミに席を置いていた。陛下は瀬戸内海の海上交通史を研究され、私は院政期の社会経済史を学んでいた。一方、学習院史学会の「古記録研究会」に属し、平安貴族の日記を読み進めていた。「古記録」とは、主に平安期から鎌倉期における貴族の日記であり、当時の儀式次第や人物関係を明らかにする第一級の史料である。

少々専門的になるが、道長の「御堂関白記」は具注歴(ぐちゅうれき)と呼ばれるもので、中務省陰陽寮の暦博士が毎年11月1日までに翌年の暦(日の吉凶や日の入りなどを記したもの)を作り配布した、言わば当時のカレンダーのようなものであり、そこに備忘録的に日々の出来事や儀式の次第などを書き入れたものである。

愛子さまのレポートを読んで、私は仰天してしまった。そこには「道長は関白ではないのに、なぜ『御堂関白記』と呼ぶのか?」と書かれている。確かに道長は摂政(せっしょう)であり、太政大臣にまで上り詰めているが、関白ではない。これまで、このような疑問を私は考えたこともなかった。

専門家である学者が論ずるのは理解できる。しかし、何といっても小学生である。その発想力、着眼点の深さにしばし呆然としてしまった。

レポートの書き方や参考文献などは陛下が手助けをされたかもしれない。しかしこうした疑問は、愛子さまご本人でなければ思い描けない。素晴らしい洞察力である。

令和2年、コロナ禍に世間は大混乱をきたした。その時に大学へのご入学が重なってしまった。約2年間、大切なキャンパスライフを失われたことは、大変残念なことである。しかしオンライン授業にも積極的に参加され、鋭意努力を惜しまれてはいない。一刻も早く、愛子さまが、陛下が過ごされた同じ学部、同じ研究棟で、充実された大学生活を過ごされることができるよう、ただ祈るばかりである。